消費者金融と聞いただけであなたは何をイメージしますか?

きっと消費者金融からお金を借りるだけで、ブラックになるとか、将来家のローンや車のローンが組めなくなるなどの何かのリスクを背負うのではないか・・・と思われているのではないでしょうか。

確かに消費者金融は昔サラ金とも呼ばれており、高利貸し、ヤバそうなお兄ちゃんが取り立てに来るなど怖いイメージを持たれている方も多いのが事実でしょう!

しかし現在の4大消費者金融であるプロミスやアコム、モビット、アイフルは、日本貸金業協会に正規に登録済みの金融機関です。
そのため私たち利用者は心配することなく安心して申込むことができるのです。

では、そもそもどうして昔はサラ金などと呼ばれていたのか。
そして今私たちが安心して利用できるようになった背景にはどんな歴史があったのか。
またサラ金と消費者金融は果たして同じなのかどうか、先ずは貸金業の変遷や消費者金融のルーツについて調べていきたいと思います。

そもそもサラ金と呼ばれるようになったいきさつは?

サラ金というのは略語で正しくは「サラリーマン金融」のことをいい、主にサラリーマンなどを対象とした高利の小口金融(業者)会社だったためにそう呼ばれていました。

また、特定の地域でお金を貸している小規模の貸金業者のことを「街金」と言い、「消費者金融」とは、消費者の信用を担保に融資を行う貸金業者のことを言います。

それぞれどれも怪しくて嫌~なイメージを持ちますが、実はこの3つ、「消費者金融」「サラ金」「街金」はそれぞれの時代に反映した時に出てきた言葉のようで、実は同じ意味の言葉です。

「金貸し」のルーツの始まりは江戸時代

消費者金融のいわゆる「金貸し」と言えば現在では銀行や信販会社、消費者金融などが挙げられますが、「金貸し」は最古の職業のひとつとも言われています。

ちなみに金貸しと同じような最古の職業と言えば、他には農業や傭兵、売春などが挙げられます。

金貸しは、「古代に貨幣の使用が始まると、それに遅れることなく始まった職業であると思われる(wikipediaより引用)」とおり、お金が誕生したと同時に金貸しも誕生したとされています。

とくに戦国の混乱から江戸時代になると人々の暮らしや市場規模拡大にともなって経済が大きく発展するようになったことで、物品を取り扱わず「金銭」を売買する両替商や質屋、そして一昼夜を期限として高利で金を貸す業者、いわゆるカラス金(鴉金、烏金、からすがね、からすきん)が登場しました。

カラス金の名前の由来は、夕方にカラスがカァと鳴けば利子が付くこと、または明け方にカラスがカァと鳴くまでに返済することという説もあって名づけられました。
上記は全て金貸しであり、両替商は年利20%、質屋は年利48%といわれています。

カラス金の利率は1日に2、3%から1割と高金利で、一見すると返済不可能のように思えますが、実際の貸付期間は1日から最長でも3日程度の短期金融であったため、朝にお金を借りて、一日商売をして翌朝返済というのが通常でした。

当時の江戸時代の日銭貸しは「100文」借りて1文の利息を当日中に返済するということなので1日の借入で計算すれば金利1%となりますが、年利換算すると何とも360%の高金利となります!
利率がもしも10%なら、年利に変えると3650%!信じられない年利です。

しかしこれらは利息は高いですが、元手になるお金を持っていない貧しい下々の町人にとってはなくてはならない金貸しだったでしょう。
江戸時代だったからこそ、そんな高金利でも成立したとも言われています。

借金をする人が増えてきた背景には2度のオイルショックが原因

昭和に入ると1970年代には2度、オイルショックとよばれる原油価格の高騰に伴う経済混乱がありました。

それにより融資を受けなければ生計が成り立たない人の数が急増し、当時はほとんどがサラリーマンの利用者だったことからお金を借りるサラリーマンで街が溢れかえりました。
このことからサラリーマンがお金を借りることが多くなってきたため「サラ金」という呼び名が出てきました。

今ならとても信じられない話ですが、当時は年率100%を超える超高金利や暴力や脅迫による取り立てが急増し社会問題にまでなりました。

最高では109.5%という高金利だったとも!
この109.5%という金利はとてつもない異常な高金利でしたが、何とこの109.5%という超高金利は1983年までは合法でした。

この金利、もしも100万円を1ヶ月借りた場合の金利はいったいいくらだったのか計算してみると、

100万円×109.5%÷365(日)×30(日)=90,000

何と利息だけで1ヶ月90,000円も払わなくてはいけないとは・・・
これでは返済できずに破産する人が多発したのも無理はありません。

毎月いくら返済したとしても利息を返すのがやっとで、元金は少しも減らず、一生死ぬまでサラ金に利息を払い続けなくてはならない有様。

毎月の返済すら困難で、サラ金へ返済するために今度はまた別のサラ金から借入を繰り返すようになります。いわゆる自転車操業でどんどん借金は雪だるま式に増えていきます。これが多重債務者です。この高金利のため夜逃げをしたり、自殺する多重債務者が増加したそうです。

こうしたサラ金の問題を重要視し、1983年(昭和58年)に制定されたのが貸金業規制法でした。
新しい法律ができたことで借入額が制限され、貸金業者は以前のような高利益を得ることはできなくなりました。

そして同年に出資法も改正され、これまでの超高金利109.5%から73%、1986年(昭和61年)より54.75%、1991年(平成3年)より40.004%、2000年(平成12年)からは29.2%に上限金利が下げられ現在に至っているのです。
出資法とは出資の受入れや預り金、金利等の取締りに関する法律のことでサラ金をはじめとする賃金業者に一定の歯止めをかけるために定められたのです。

サラ金から消費者金融へ自殺者続出からのイメージ払拭の背景

1980年代には女性(OLや主婦)や自営業者などの借り入れが増えたこともあって、その呼び名は「サラ金」から「消費者金融」へと時代と共に変わっていきました。

1970年代に「サラ金」の名でそれはそれはイメージが悪かったことから、少しでも悪いイメージを払拭する為にも業界が新たな名称として「サラ金」ではなく「消費者金融」という名を全面に推し進めたことが背景にあるようです。(なお「サラ金」の呼び名以前に1960年代頃には「団地金融」という呼び方もあったそうです。)

「消費者金融」へと名称が定着した頃、1983年に制定された借入額の制限や競争により、たくさんの中小の消費者金融が倒産に追い込まれます。
その数は激減し、大手は生き残りをかけて銀行と提携したり、傘下に入るなど、買収や合併等で必死でした。

その結果、競争を生き残った消費者金融は経営基盤を確実にし、強くなっていきました。 こうして1988年頃からは消費者金融全体の業績は回復していくのです。

バブル崩壊、むじんくんの登場でイメージアップを実現

1990年のバブル崩壊以降利用者が再び増加します。

バブル経済崩壊の影響で経済的に苦しい消費者家庭が増加し、経済的に追い込まれた人たちが増え、それまで深夜限定だったテレビコマーシャルが解禁しゴールデンタイムでの放送が可能とされました。
そして何と言っても注目を浴びたのが1993年にアコムが業界初の簡単にお金の貸し借りができる機械「自動契約機(愛称:むじんくん)」の登場です。

このむじんくんによって消費者金融は貸金業の勢いに更に拍車をかけました。
それは、“お金に困った→自動契約機へ行こう・電話しよう”という単純明快な作品が大量出稿されるようになったこと。そしてアイフルのチワワのテレビCMも記憶に新しいことと思います。

このように消費者金融に対する暗いイメージを少しでも払拭することに努めた結果、大手業者の中には株式を公開(上場)する会社も現れました。
若者や女性の利用者が増えていったのもこの頃からです。

法の改正繰り返しで次第に利用者が守られる時代に

2000年代に入ると消費者金融を取り巻く環境は更に変化を遂げていきました。

先ずは2000年(平成12年)に出資法が改正され、上限金利の40.004%から29.2%に引き下げられました。
1983年(昭和58年)のとんでもない超高金利109.5%からの何度もの改正により、やっと辿り着いた数値です。

そして2003年には貸金業規制法が改正され、「闇金対策法」も成立しました。
ヤミ金対策法(貸金業規制法及び出資法の一部改正法)の主な目的は、違法な取り立て行為や高利子に悩んでいる消費者を守ることにあります。

その後、2006年(平成18年)以降は貸金業者に対して改正貸金業法が段階的に施行され、ついに2010年(平成22年)、「利息制限法」と「出資法」において両者で同率になるように改正されたのです。
これがいわゆるグレーゾーン金利であり、この2つの法律が完全施行されたことによってグレーゾーン金利が廃止され、金利を払い過ぎるといったトラブルに巻き込まれる事がなくなったのです。

上限金利定める2つの法律が別在!ぼろ儲けの貸金業者の実態

2010年前までは「利息制限法」と「出資法」の2つの法律は別々で存在していました。

どれくらいの利息を取って良いかは、「利息制限法」という法律で利率の上限が定められています。ただこの法律は違反したとしても罰則規定がないのです。
一方の「出資法(出資の受入れ,預り金及び金利等の取締りに関する法律)」は、貸金業者は29.2%を超える金利を受け取ると罰則が科されます。

この2つの法律は上記のように罰則がある・なしという点が異なるところです。

当然のことながら貸金業者が守らなければいけないのは、出資法です。なぜなら厳しい罰則が待っているからです。

しかし、自分たちの儲けのため、まじめに利息制限法を守っている貸金業者はいません。例え利息制限法に違反したからと言って罰則もない、しかもみなし弁済(旧「貸金業規制法」第43条)という抜け道があったため合法だと認めざるを得なかったのです。

もう少し具体的にお話しすると、
2010年に改定された利息制限法、すなわち貸金業法では消費者金融の金利の上限は、借入金額が

10万円未満なら年利20%

10万円~100万円未満なら年利18%

100万円を超える場合は15%

と定められました。

2010年以前までは29.2%という高金利が設定されていた出資法も貸金業法と同時に改定され、上限を年20%と定められました。

出資法によって罰則の対象となる金利のことを「上限金利」と呼ぶことがあります。
上限金利というのは、お金を貸すときは法律に定められた金利を超えてはいけませんという法律上できちんと決まっている金利のことです。

もしも貸金業者がその上限金利を超えて貸し出した場合、前にもお話したとおり、罰則を科されることになります。
2010年の2つの法律(利息制限法と出資法)での制限利率が一致していなかったがために、グレーゾーン金利問題が生じたのです。

グレーゾーン金利問題

グレーゾーン金利問題はこのように、利息制限法の上限利息と、出資法の上限金利の差のことを言います。
大手消費者金融のプロミスやアコム、アイフル、セゾンやもちろん倒産した武富士なども年利20%以上で貸付けを行っていたのです。

言われるがままの暗黒・闇の時代から消費者が選べる時代へ

貸金業の変遷や消費者金融の移り変わりについて江戸時代からさかのぼって調べてみましたが、こうして振り返ってみると、まさに「暗黒」「闇」と言える時代だと感じました。

確かにお金を貸してその利息で利益を得る、このビジネスは現在の銀行でも元は同じ仕組みで「サラ金」「ヤミ金」などど何ら大きく変わることはありません。
そして法律で罰則が与えられないからと言って「法律の抜け穴」をくぐり、高金利で貸し付けを行っていた貸金業者がボロ儲けしていたことは事実にすぎません。

しかし2006年以降の貸金業法の改定によってグレーゾーン金利での貸付やみなし弁済が禁止されたことにより、以前のような高金利での貸付は姿を消したのです。利息返済の負担が大幅に軽減されました。

ただそれと引き換えに以前のような「早い、簡単、ゆるい」の3拍子揃った審査に比べると審査基準が上がり、容易にお金が借りられなくなってきています。
それにはやはりグレーゾーン金利の廃止が考えられるでしょう。

金利の上限が同率されたことで、全ての金利を下げざるを得ない状態に陥ったのですから。
貸金業者への利益が減り、経営状態が厳しくなったことでリスクの低い優良顧客だけに貸すことになったのです。

また特に審査が厳しくなった背景には、法改正による総量規制法が適用されたのがあります。

この総量規制法と言うのは債務者への過剰貸付を防ぐために、債務者が年収の3分の1を超える借入ができないように定められた法律です。
つまり年収300万円の方は総量規制により、100万円以上の借入ができないようになったのです。

ただしその中で総量規制の対象にならない貸金業者も存在します。
主に銀行や信用金庫、農協などが総量規制の対象外で低金利でお金を貸してくれる、そんな利用者にとってより良い借り方を選べるようになった時代が来たのです。

このページのまとめ

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今ではテレビCMや電車の中吊り広告、街中の至る所で目にする看板など、消費者金融会社の社名を目にすることはよくよくあります。ダークなイメージというよりはどちらかと言うと、親しみやすく、より明るいイメージを頭に思い浮かべるものですが、かつては信じられないような金利でお金を貸し、それによってどれほど苦しめられた人がいたかも事実です。きっとその時は利用者にとっても、お金を貸す貸金業者にとってもそれぞれが必要だったからこそ成り立っていたのだと思います。
特に江戸時代には毎日の生活のために金貸しが欠かせなかったのでしょう。

しかし時代と共にイメージ戦略や度重なる法改正の実施、優良消費者金融の経営努力により、今のこの現在では借り手にとって安心して利用できるようにまでになりました。私たち消費者が計画的に利用しさえすれば、もしもの時はきっと大きな力強い味方となってくれることと思います。